今回は私の流産したときの話をしたいと思います。
流産は妊娠全体の15%の人が経験すると言われています。
この記事を見ている人は、何かしらの思いがあって、こちらに来られたのだと思います。
何かの参考になれば・・・という思いで、記事にしてみました。
初期流産とは
初期流産とは妊娠12週までの流産のことをいい、流産全体の8割以上をしめます。
早期流産のほとんどは受精卵の染色体異常で起こります。
たまたま異常を持つ精子や卵子が受精してしまったことで、育つことができず、
流産してしまうのです。
赤ちゃんは以下のように成長していきます。
妊娠4週~ 赤ちゃんの入った袋、胎のうが見え始めます。
妊娠5週~ 胎のうの中に胎芽が見え始めます。
妊娠6週~ 心拍が確認できる人もいます。
※大体の目安で個人差があります。
この通りでなくても心配しないでください。
概ね心拍が確認できると一安心とされていますが、
やはり12週までは流産の可能性はあります。
私の友人も何人か心拍確認後流産していますので、
やはり、12週を超えるまではいつ起こってもおかしくないのです。
そして初期流産は母親が何かしたから・・・と言うわけではなく、
子どもの方に問題があるので、
妊娠した時から、流産することは確定しているようなものなのです。
ですので、たとえ流産になってしまっても、誰のせいでもないので、
自分を責めることはしないでください。
1回目の流産
さて、私の話に戻ります。
自己紹介にも書きましたが、
私は26歳で結婚しました。
妊娠するのに決して遅くない年齢でしたので、
その後まさか自分が妊娠のことで、
こんなに思い悩むことになるとは想像もしていませんでした。
子どもというものは当たり前のように授る。
それが結婚後の当然の家族の形だと思っていました。
実際結婚後、私はすぐ妊娠しました。
病院で妊娠を確認してもらい、その帰宅の道中、主人に電話をかけ、
「妊娠してたよ!」と報告をしましたら、
主人が「でかした!」と嬉しそうに言っていたのを今でも鮮明に覚えています。
新婚ほやほやで幸せいっぱいの時に、子どもまで授かって、
天にも昇る気持ちでいました。
そして、当時初期流産に関する知識がまったくなかった私は、
胎芽がエコーで確認できたばかりだったにも関わらず、
「妊娠した、妊娠した」と皆に触れ回ってしまったのです。
一般的に安定期に入るまで『人にはあまり言わない』というのが普通のようですが、
そんなことはまったく知りませんでした。
私が初期流産について知ったのは、この病院に行った日の一週間後、流産前日の夜でした。
『初めてのたまごクラブ』という妊娠初期用の雑誌を、
前日にたまたま購入して読んでいました。
そこに初期流産についていろいろと書いてあり、
主人と「初期流産って結構あるみたいだよ・・・恐いね・・・」というやり取りもしていました。
その翌日のことです。
朝起きたとき、何だか下痢をしたときのような腹痛がありました。
トイレに入るとショーツに血が・・・
前日に雑誌で読んだ『初期流産』が頭をよぎりました。
もうその瞬間パニックです。
産院に行こうにも、私の行った病院は努めていた会社近くの小さな病院で、
自宅からはとても遠いところでした。
自宅近くの産院に行こうにも、産婦人科にかかったことがなかった為、
どこに病院があるのやら・・・
主人がどうすればいいか近所に住む義母に電話をしてくれました。
そして、義母が近所の病院へ電話をして支持を仰いだところ、
「土曜日だし、待たされたりするから、救急車を呼んでしまった方がいい。」と言うことでした。
そこで、救急車を呼び病院へ向かいました。
診察を受けると、出血量が多いので入院となりましたが・・・
初期流産というものは止めようがありません。
ただ安静にして、祈るしかないのです。
結果その日の夜7時頃、お腹が痛くてトイレに行ってみるとショーツにごろっとした塊が
出ていて・・・それが最初に授かった小さな命が失われた瞬間でした。
流産の後
入院するとき、お医者さんに「もし塊が出てきたら教えて」と言われていたので、
出てきた赤ちゃんを検査してもらうことができました。
結果は『受精卵の染色体異常』だった為、
「流れるべくして、流れたんだよ。」と言われましたが、
誰のせいとか、子どもに異常があったとか、そんなことはどうでもいいのです。
私にあるのは「お腹の中にいた命がなくなってしまった。」という事実だけです。
流産後は子宮に残った異物を外に出すために、激しい子宮伸縮が起こり、
2日ほど苦しみました。
しかし、何より心が痛くて痛くて、食事を取ることができませんでした。
このまま死んでしまいたいと思うほど、
流産は私にとって受け止めることができないほどの悲しみでした。
妊娠したことが分かった時の、
主人の「でかした!」と言う嬉しそうな声がずっと頭の中でこだまして、
主人にも申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
そんな時、お見舞いに来た私の母が、
「旦那さん可哀そうよ。あなたが落ち込んでるから元気がないじゃない。」
と言ったのです。
私はびっくりしました。
主人が元気がないのは、流産してしまったからだと思っていましたが、違うのです。
子どものことより、私が落ち込んでいるのが心配で心配で仕方がなかったそうです。
そっか、可哀そうなのは私じゃない。私が落ち込んでいたら主人が可哀そうなんだ。
早く元気にならなければ・・・とそこで初めて食事を取りました。
結局流産後3日間入院し、その後も自宅安静で、1週間会社をお休みしました。
完全流産でしたので、特に流産手術をすることもありませんでした。
その後私は次の子どもを妊娠するのに8年かかりますが、
それはまた別の機会に記事にしたいと思います。
まとめ
私はうかつにも、たくさんの人に妊娠したことを早い段階で報告してしまいました。
結果として流産となってしまった為、報告した人全員に、
「流産したこと」の報告もしなければなりませんでした。
これは私も、それを聞いた側も、悲しい思いをしました。
何かあった時のために、会社の上司には報告しておいた方がいいと思いますが、
それ以外の人にはあまり言い回らない方がいいでしょう。
それから、妊娠確認だけだからと言って、適当な病院に行くのではなく、
次の日にでも入院になるかもしれないことを想定して、病院を選んでください。
何かあったときにはすぐに対応できるようにしておきましょう。
そして、今回のことで確信したのは・・・
死にたいほど悲しい出来事があっても、
『そこで死ななくて良かったと思える嬉しいことがたくさん待っている』ということです。
悲しいことがあると、その時は、
もうこの先笑える日は二度と来ないような気になってしまいますが、
絶対にそんなことはありません!
これからの皆さんの人生がすてきな毎日でありますように。