出産

我が子が新生児仮死 一過性多呼吸でNICUへ 帝王切開出産体験談

寝ている赤ちゃん

我が家の二人目の子供は出産時呼吸が6分間停止していました。

いろいろな後遺症が考えられましたが、
1歳になるまで何度か入院していた病院に通い、つい先日
「もう来なくて大丈夫ですよ。」と担当医師から言っていただき、
晴れて通院卒業となりました。

感無量です!

生きててくれてありがとう!

健康でいてくれてありがとう!

産まれてきてくれてありがとう!

とにかく長女うさみちゃんをぎゅっと抱きしめて、心から良かったと思いました。

今回のことで出産に絶対安全はなく、
出産は常に危険と隣り合わせなのだということを実感しました。

もし同じような状況の方がいましたら、参考になればと思い、
長女出産のときのことを書いてみました。

私の二人目出産時の体験談


早産しないかドキドキの妊娠後期

私はもともとすごく張りやすいタイプで、
妊娠後期はずっとハリとの闘いでしたが、
妊娠32週の時の検診で医師から、「おそらく子宮口が開いてしまっているから、絶対安静に」と言われました。

上に子供が居なければ入院したのですが、
長男がいるので、なるべく入院はしたくないと申し出ました。

病院で早産予防の薬やら注射やらを受けながら、
母に来てもらって1か月自宅でほぼ寝たきりで居ました。

一人目が帝王切開だったので、今回も計画帝王切開で出産です。

通常帝王切開は妊娠38週に行うことが多いのですが、
私の状態を見て、先生は37週での出産を決断しました。

一応妊娠37週からは早産ではなく、正期産となります。

ただ「赤ちゃんの体の中で肺が一番最後に作られる為、まだ未熟な上に、
赤ちゃん自身、産まれる準備ができていない内に、帝王切開でいきなり外に出されることでいろいろな危険がある」と先生からは説明を受けていました。

しかし、その危険があっても37週で出した方がいいという判断だったので、
多少不安はありましたが、それに同意しました。

手術は妊娠37週2日に決まり、あとはとにかくその日までお腹に居てくれることを祈っていました。

麻酔が効きにくい体質で大変

前回別の病院でうさお君を出産した時、逆子だったので、計画帝王切開だったのですが、
麻酔が効いていない状態で手術され、死ぬほど痛い思いをしました。

そのことを先生に伝えると、
麻酔を追加投入できる『硬膜外麻酔』にしているから、ちゃんと麻酔が効いたのを確認してから切るからね。」
と言ってくれたので、安心して手術に臨むことができました。

何とか無事に手術の日を迎えられたので、もうあとはすべてを先生に任せるしかありません。

出産当日、長男うさお君(当時4歳)も病院に来て、新しい命の誕生を楽しみにしていました。

いよいよ病室を出て、手術に向かうというとき、
看護師さんが長男うさお君に「すぐ会えるから待っててね。楽しみだね。」と言っているのを聞いて、私はふと不安になりました。

すぐ会える保証ってあるの?そんなこと言って大丈夫?もし何かあったらがっかりさせてしまうのではないか・・・

しかし、ここは無事産まれてくることを信じるしかありません。

この不安は私の思い過ごしだと、心を切り替えて、いざ手術室へ。

まず通常の量の麻酔を投入し、麻酔の効き具合を診るため、先生がお腹をピンセットで挟みます。

・・・「痛い、すごく痛いです・・・」全然効いていません・・・。

数分後さらに麻酔を投入。そしてピンセット。

・・・「普通に痛いです」・・・まだだめです・・・。

そしてさらに追加投入。
・・・というのを繰り返し、診察台を頭の方に傾けてみたり、左に傾けてみたりして、ようやくつねられても痛くなくなりました。

いよいよ出産

いよいよお腹にメスが入ります。

ここからは早いものです。

シャーと切って、くいくいっと手を入れて、「おぎゃ~」

ふ~産まれた~。

看護師さんたちも「女の子ですよ~。あれ、お兄ちゃんに似てるね~」なんて和やかムード。

早く顔が見たいな~何て考えていましたら、何か様子が変です。

実は手術の時、自分のお腹パックリが見えないようにアイマスクをしているので、
周りは何も見えないのです。

周りがバタバタし出して、看護師さんが「3分経過~」とか言い出して・・・

何か『コ~コ~』と羊水を吸い出しているような器械の音。

そして「頑張って・・・」と言う看護師さんの焦った声。

「小児科の〇〇先生呼んで~!」と言う声も。

もう私の頭はパニックです。

何?どうしたの?何かこういうシーンドラマとかで見たことあるけど・・・
必死に状況を確認しようとするも、アイマスクで状況が分からない。

そんな時、「おぎゃ~」とかすかな声。

泣いた、泣いた!

しかし、それきりまた静かになってしまう。

あまりのことに声が出ない。
なんとか「何かあったんですか?赤ちゃんは大丈夫ですか?」と声を振り絞る。

すると「お母さん、大丈夫ですよ」(必死な感じ)と看護師さんの声。

・・・いや、明らかに大丈夫じゃないでしょ~!声が焦ってるもん!

とにかく応援しなきゃ!と我が子がいるであろう方に向かって、
「がんばって~!」と声をかけ続けました。

そこへようやっと小児科の先生が到着。

そしてようやく説明が・・・

「赤ちゃんね、ちょっと寝ちゃったみたいで、呼吸が6分間止まっちゃったんです。
今自分で呼吸できていますが、念のためNICUの設備のある大きな病院に今から搬送します。その前に赤ちゃんの顔見せますね~。」
とここでようやくアイマスクが外され、産まれてすぐ死にかけた我が子と対面。

「頑張ったね~・・・」それくらいしか声をかけてあげられませんでした。

そして抱くことができないまま、救急車で遠く離れた病院へ運ばれて行ったのです。

「すぐ会えるからね。」と言われて楽しみにしていた長男うさお君は、
散々待たされた挙句、救急車に運ばれるうさみちゃんを遠くからちらっと見ただけという、
とってもかわいそうなことをしてしまいました。

話が違う・・・と思ったでしょうね・・・。

そして不安だったでしょうね・・・。

大きな病院のNICU(新生児集中治療室)で入院

救急車で運ばれたうさみちゃんには主人が一緒に付き添いました。

病院に着くと、「ここでお待ちください。」と小部屋に通されて、1時間放置・・・。

主人はウチの子死んでしまったんじゃないか・・・と思ったと言っています。

その後の先生からの説明によりますと、気胸を発症しているということです。

新生児気胸は産声を上げる際に思いっきり空気を吸うことにより、肺が破けてしまうというもので、
何もない場合でも1%の確率で起きてしまうものだそうです。

やはり、37週で肺が未熟なこともあったのでしょう。

帝王切開においてはしばしばこのようなことが起こるようです。

とにかく泣くとよくないとのことで、鎮静剤で眠らせているとのこと。

新生児の場合、特に手術をしなくても肺の穴は塞がるとのことでした。

栄養は鼻から入れたチューブでミルクをあげるのですが、
ママが搾乳器で絞った母乳を冷凍して、
なるべく毎日届けて欲しいとのことでした。

入院中私は我が子を思い、必死で搾乳し、
パパは車で片道1時間の道のりを19日間毎日母乳を届けに走りました。

皆よく頑張りました。

主人の話だと最初の数日は見に行く度に管やチューブが増えていたりして、
私にどう報告しようか・・・と思ったと言うことでした。

ある時などは、病院に行ったら、保育器に何かカバーのようなものがかけられていて、
死んでしまった・・・と思ったそうです。

しかし、それは黄疸を発症した為の治療だったようで、
本当に肝を冷やしたそうです。

そんな中、徐々に回復し、人工呼吸器も外れ、自分で呼吸もできるようになりました。

そこでようやっとMRI(画像検査)で検査を受けることとなりました。

検査結果

うさみちゃんは6分間呼吸が止まっていたということで、
医師からは「後遺症があるかどうかは検査をしてみないと分からない」と言われていました。

うさみちゃんを出産してからMRIの検査結果が出るまで16日間ありましたが、
とにかくこの期間生きた心地がしなかったです。

始めの頃は「何でこんなことになったのか・・・」と毎日病院で泣いていました。

主人が撮ってきたうさみちゃんの写真も、いろんな管やチューブが小さな体に繋がっていて、
痛々しくて見られませんでした。

いろいろなことを考えました。

耳が聞こえなかったら家族皆で手話を覚えなければ・・・
目が見えなかったら、点字を私も覚えて教えてやらなければ・・・
歩けなかったら、車椅子になるけど、いろんなところへ連れて行ってあげたい・・・
知能が遅れているようなら、何か特技を見つけてあげて・・・
と一日中こんなことばかり考えていました。

しかし、段々と心の整理がついてきて、最後には、
「どんな障害があろうと、どこに出しても恥ずかしくない、りっぱな大人に育てて見せる!」と心に固く決心できていました。

人って逆境があっても案外強く生きていけるものなんだろうと思います。
当時の私の覚悟は本物でした。

先生にどんなことを言われても嘆かない!私が絶対に守ってみせるんだ!
と心の中で繰り返し繰り返し、自分に言い聞かせました。

そしてついにその日がやってきました。

検査結果を聞いた主人が病院から帰って来ました。

主人は帰ってくると、「うさみちゃんの検査結果は・・・」と真面目な顔でおもむろに口を開きました。

 

「検査結果は・・・」呼吸するのを忘れるくらい主人の次の言葉に集中します。

 

「耳の検査、目の検査、脳の検査、オールクリアで~す!」

 

「よかった~!!」

 

人生の中で一番というくらい、嬉しい瞬間でした。

そして嬉しくて跳び上がりたいのに力が抜けてへなへな~と脱力してしまう変な感じです。

とにかくこの瞬間に、やっと、やっと、うさみちゃん誕生を心から喜ぶことができました。

ずっと気を張っていて、とにかく心配で、いろんな覚悟をしなければいけなくて、
出産した喜びとかは後回しになっていました。

本当に、本当に良かった!

何もありませんでしたが、もし何かあったとしても、
すべてを受け止めるだけの覚悟は当時の私にあったことは間違いありません。

普段はぼーっとしている私ですが、今振り返っても、
母親ってこんなに強くなれるものなんだな・・・と改めて感じます。

出産から19日後に退院

いよいよ退院の日です。

うさみちゃんが入院中は私の帝王切開の傷の痛みもあり、
数回しか会いに行けませんでした。

これからは搾乳した母乳ではなく、直接吸わせてあげることができます。

そして毎日一緒です。

長男のときは当たり前だったことが、うさみちゃんにはしてあげられなかったので、
これからは存分に子育てを楽しもうと思いました。

そして、この日を待ちに待っていた長男うさお君。

病院は子供を連れて行ってはいけなかったので、
出産当日、救急車に乗る前の一瞬しかうさみちゃんを見れていなかったうさお君は、
私たち以上にこの日を待ち侘びていたに違いありません。

うさみちゃんを連れて帰ってきた時のうさお君の目の輝き、
「かわいい」と言ったうさおくんの声を、今も忘れることができません。

出産後1年の今

あれから一年、定期的に検診を受けていましたが、それももう来なくていいとのこと。

寝返りやハイハイが遅ければ、もしや・・・障害が・・・

などといちいち心配していた日々ともお別れです。

今は伝い歩きの段階ですが、
もう少しすれば一人で歩くようになるでしょう。

人見知りもせず、いつもにこにことかわいい笑顔をふりまくうさみちゃん。

もう生きてるだけで、毎日楽しい♪って感じです。

そんなうさみちゃんを見ていると元気を貰えるし、
健康であるということに、感謝の気持ちを思い出させてくれます。

うさみちゃんの母子手帳には出産の蘭に『新生児仮死(蘇生)』、
処置は『新生児一過性多呼吸によりNCPAP酸素投与』と書いてあります。

これを見る度、「生きててくれてありがとう」と思うのでした。

まとめ


出産時呼吸が6分間停止したうさみちゃんは、
検査をすべてクリアし、1年後には病院通いも卒業しました。

しかし、この出来事は私たちにいろいろなことを教えてくれましたし、
長男うさお君にとっても、貴重な体験になったと思っています。

今でもうさお君は、うさみちゃんが風邪をひいた時など、私が「病院に連れて行く」というと、
「うさみちゃん帰ってくる?死なない?」と聞いてきます。

うさお君にとっても、うさみちゃんの存在は『あって当たり前のもの』ではないのだと思いました。

私たちはつい、健康や命が、『あって当たり前のもの』と思ってしまいがちですが、
実はそうではないのだと言うことをうさみちゃんが体をはって教えてくれたのだと思います。

友人が「赤ちゃんはそれぞれ大きな使命を持って産まれてくるんだよ」と言っていましたが、
まさにうさみちゃんの使命はそういうことだったのかもしれません。

出産、それはママも赤ちゃんも何が起こるか分からない、
まさに命がけのものです。

私たち一人一人、その命がけを乗り越えて産まれ出た貴重な存在なのだということを、
忘れてはなりませんね。